「私の再出発-1級合格と大学院進学」

杉山 明枝 英検1級二次試験 2002年

 

1級合格後の進路

私は現在津田塾大学に通う32歳の女子大生です。 来年からは同大学の大学院に進学が決まり、中学校・高等学校における読解指導をテーマに研究を進めてゆく予定です。今年の3月まで約2年半、私立中学校と高校の英語教師をするかたわら、英検1級の受験勉強に取り組んでいました。私の経験の中で英検1級ほど困難な試練はなく、それだけに合格の喜びはひとしおでした。 しかし今あらためて、1級はあくまでスタートラインであり、取得後の勉強こそが大事なのだと言うことを実感しています。 「1級合格後の進路に悩む人たちのために、1級取得から大学院合格までの体験記を書いてほしい」というお申し出を小林蕗子先生よりいただき、「私の体験が少しでも多くの方々に役に立てていただければ」という思いと、「私自身のこれまでの道のりを振り返る上でもよい機会になるのでは」という考えから、引き受けさせていただきました。
 

受験生活スタート

埼玉県内にある私立中学校の英語教師をしていた私は、99年の夏、仕事上のミスから学級担任を外され、精神的に大きなダメージを受けました。この最悪の状況を忘れようと必死だった私が思いついたのが「英検1級受験」でした。   学生時代に準1級は取得していたものの、「英検1級」という最難関の試験にはとうてい手が届きません。「今の私に残された物は膨大な時間だけ。この機会に英検1級を取ってしまおう」どん底の状況が私にこう決意させました。今にして思えば、このつらい経験があったからこそ1級合格を実現できたのですが、当時の私には、このままでは終わりたくない、周りの人を見返したい、という思いしかありませんでした。こうして私の2年半に渡る1級受験生活がスタートしました。
 

厳しい受験生活

絶対1級に合格すると覚悟は決めたものの、仕事との両立はなかなかうまくいかず、独学での合格の厳しさに気づき始めました。初めての受験では、箸にも棒にもかからぬ不合格C。そんな矢先に目にしたのが高田馬場英検ゼミの広告でした。抜群の合格率と塾長の飯室真紀子先生の素晴らしいご指導。すぐに入塾を決め、飯室先生の門下生になりました。
 

停滞期

授業は緊張の連続で、毎回毎回真剣勝負でした。飯室先生から難問が容赦なく浴びせられます。しかし、どんなに厳しくされても、やめたいという気持ちは起きませんでした。絶対に周囲の人を見返したいという意地だけが私の決心をますます強くしました。残業は極力避け、仕事と家事以外の時間はほとんどすべて勉強に充て、休日は一日図書館で過ごすという日々が続きました。勉強を始めた翌年には、中学校よりも勤務形態が緩やかな系列校の高校に転勤となり、勉強のしやすい環境が整いましたが、肝心の成績はそれほど伸びず、1年ほどは停滞期が続きました。 「こんな勉強、もうやめてしまいたい」5回目の不合格通知をもらった2001年の6月、初めてこの言葉を飯室先生に対して口にしました。私と同じ時期に入った人たちが次々と合格してゆく中で、私一人が取り残されるでは、という焦りの気持ちからでした。「絶対にここであきらめては駄目。今やめたら必ず後悔するわ」まるでご自分のことのように力強く説得してくださった飯室先生のあの時の表情は未だに私の脳裏に焼きついて離れません。飯室先生のあの力強いお言葉に背中を押されるようにして、私は再出発を決意しました。
 

一次試験に合格

人は最悪の状況を経験すると、全く駄目になるか、もしくは逆に強くなると言われますが、幸いなことに私は後者の方でした。前回の試験で、極度の緊張から最悪のミスを犯した私は、「絶対に受からなくては」という焦りの気持ちが消え、精神的に余裕が出てきたのです。すると成績は鰻登りに上昇し、ゼミでの厳しい授業が楽しく思えてさえきました。本試験にも落ち着いて望むことができ、2001年10月、とうとう一次試験に合格することができました。合格通知を見たときのうれしさは今でも忘れられません
 

二次試験対策

一次試験合格の喜びもつかの間、それ以上に難関の二次試験が待っていました。恥ずかしいことに、英語教師とはいっても私は英会話があまり得意な方ではなく、ましてやスピーチなど未知の世界でした。1回目の二次試験は当然不合格。次の試験までは3ヶ月あまりしか残されていませんでした。短期間で合格するために、1級二次対策において全国で最も定評のあるテソーラスハウスを選び、毎週日曜日に自宅から1時間半かけて通いつめました。
 

ブレインストーミングクラス

授業は約4時間。午前中は代表の小林蕗子先生が行うブレインストーミングクラス、午後はネイティブの先生のスピーチクラスでした。初心者の私にはこの2本立てが最適でした。午前中の比較的頭の冴える時間にスピーチの構想を日本語で練り、そのアイディアをもとに、午後の授業でスピーチをするという習慣が自然に身についてゆきました。 なかでも小林先生の授業は、単にテクニックを教えるのではなく、最近の社会情勢をよく踏まえ、日常生活において常にものを考えることの大切さ、そして今までいかに自分が世の中の動きに無頓着であったかを知るきっかけにもなりました。小林先生の生徒一人一人のスピーチに対するコメントは非常に的確で、時に厳しいときもありましたが、常にほめてくださることを忘れず、教員としてお手本となる面が多々ありました。スピーチの得意でない私に「あなたの笑顔はとても印象がいいわ」と言ってくださった小林先生の一言は大いに励みになりました。クラスメートにも恵まれ、お互いに励まし合い、切磋琢磨しながらスピーチの実力をあげてゆきました。   授業のない曜日には、地元の英会話学校に通って英語を話す感覚を研ぎ澄まし、スピーチの題材探しのための新聞の切り抜きを日課としました。驚いたことに、本試験当日のスピーチトピックの中に、小林先生が「絶対に出る」と予想された環境問題が入っていたのです。先生のお言葉を信じて、あらかじめ準備していた構想をもとにスピーチをし、質疑応答にも落ち着いて答えることができました。おかげで二次試験は2回目の挑戦で合格することができ、2年半に渡る1級受験生活はようやくピリオドを打ちました。約1ヶ月後に届いた合格証は私の部屋の壁にしっかりと掲げられています。
 

「進路を常に考えておくように」

英検ゼミの飯室先生はかねてから、「1級に受かったあとの進路を常に考えておくように」とおっしゃられていました。「合格したとたんにその先の目標がなくなり、これから何をすればいいのか分からなくなる人が多い」とのことでした。   当時の私はとにかく一次試験にパスすることで精一杯であり、次の目標など夢のまた夢でしたが、漠然と「今後も教員を続けていくには、大学院に進み、本格的に言語教育を学ぶ必要がある」という思いはありました。不思議なことに、つらい状況から逃れたいという思いから始めた1級受験が、勉強を進めるにつれ純粋に「もっと勉強をしたい。自分自身を高めたい」という気持ちに変わっていったのです。周りの人を見返したいという思いはすでに消えていました。しかし、大学を出てから専門的な勉強をほとんどやっていない私にはいきなり大学院への進学は無理。 「それでは今の私には一体何ができるのか?」と自分自身に問いかけたときに、忘れかけていた夢がよみがえってきました。そのきっかけは英検ゼミでの飯室先生の授業でした。飯室先生はリーディング教材として大学入試の問題、特に一般に難関とされる大学の問題をときおり活用されていました。   当然の事ながら、1級の難しい問題に比べ、入試問題はかなり易しく感じられました。そこで思い浮かんだのは「大学院に行く前に、もう一度、私が行きたかった大学に挑戦し、そこで基礎からしっかり学びたい」という考えでした。今から12年前、大学受験生だった私は第一志望の津田塾大学を目指すも、合格を果たせなかったという苦い経験をしました。今度は受かると確信したのは、1級一次試験にパスした直後の2001年の11月。たまたま手にした津田塾大学のパンフレットに書かれた「社会人入試」という文字を目にしたときでした。運のいいことに翌年から、一般の受験生とは別枠の社会人入試を導入し、試験科目は「英語・小論文・面接」のみ。私はすぐに受験を決意し、1級二次試験対策と、大学受験という二足の草鞋の受験生活が始まりました。
 

夢をあきらめきれず

大学受験を決意したものの、不安はつきまといました。「大学生になる=仕事を辞めること」です。いくら結婚しているとはいうものの、私の収入はゼロになるわけですから、生活費はすべて夫に負担がかかることになります。夫の答はもちろん“No”。また友人からは「この不景気の時代に教員を辞めるなんてもったいない」「大学院に入るならまだしもどうしていまさら大学に入り直すの?」等々、当然予想されるであろう反応が返ってきました。   しかし、どんなに反対されても夢はあきらめきれませんでした。そんなとき私の背中を押してくれたのが、津田塾大学の入試相談会に参加した際に相談に乗ってくださった、英文学科 T 先生の一言でした。「このまま迷ったままで先に進むよりは、一度ここで立ち止まって、じっくり勉強した方がいいわ」 さらに先生は「はじめに社会人入試を受け、学部に入って勉強してから半年後の10月に行われる大学院入試に備えたら?」と今後の進路についてもアドバイスをしてくださいました。   これが T 先生と私との出会いでした。先生の御専門は言語教育。特に読解指導における研究ではめざましい成果をあげられており、偶然にもそれは私が勉強してゆきたい分野そのものだったのです。 「この先生のもとで勉強したい」もう私の中から迷いは消えていました。入試は2月初旬。約2ヶ月間、1級二次試験の勉強と並行して受験勉強をしました。筆記試験は英語のみで、しかも1級の問題に比べればかなり易しかったため、過去問を解きながら勘を取り戻しました。1級の勉強がここでも役に立ったのです。それから約2ヶ月後、13年間憧れ続けた大学からの合格通知が届きました。1級とのW合格でした。そして何よりもうれしかったのはあれほど反対していた夫からの「おめでとう」という一言。大反対されると思っていた両親からも「がんばって」と応援され、私は安心して学生生活に臨むことができたのです
 

大学生となる

5年間の教員生活に終止符を打ち、2002年4月からは大学生活に入りました。 すべてが新鮮で現役時代とは比べものにならないほど真剣に授業に参加する毎日。10歳ほども年の違うクラスメートも自然に接してくれ、10年前にタイムスリップしたかのような楽しい日々が続きました。   英検ゼミやテソーラスハウスでしっかり勉強したおかげで、必修の英語科目(スピーキング・リスニング・ライティング)は飛び級試験を受けて2年生の授業を受けることができました。特に英作文の試験では、テソーラスで何度も練習したスピーチの原稿をそのまま書き、合格。小林先生が常におっしゃられていた「イントロ→ボディ①・②→コンクルージョン」がここでも大活躍してくれました。スピーキングの試験では「英検1級を取得した」と言ったことがかなり評価されたようです。以前卒業した大学で取得した単位も大幅に認められ、大学院受験に向けた環境も整いました。
 

大学院への挑戦

念願の大学に入学したものの、経済的な事情から4年間悠長に過ごすわけには行きません。 また、1年生からのスタートということで授業内容等に物足りなさも感じました。できれば早く大学院に進みたいという気持ちは常にありましたが、最大の障害は第2外国語科目でした。卒業した大学では韓国語を勉強し、卒業後一年間語学留学したほどですが、津田の大学院入試科目で選択できる第2外国語の中に韓国語はありませんでした。前述の T 先生の「これからはスペイン語が最も注目される言語になる」という一言でスペイン語を選択し、学校の授業の他に恵比寿にあるスペイン語学校に週2回ほど通いました。入試では読解問題が主に出題されるため、この学校ではひたすら購読に専念しました。毎回たくさんの宿題をこなし、英検ゼミやテソーラスハウスに匹敵するほどの厳しい授業に耐え、5ヶ月間という短期間で入試レベルの力を付けることができました。スペイン語と英語の類似性もその大きな要因でした。 その他の専門科目対策は、単位取得とは関係なく、できる限り多くの授業を聴講し、試験の傾向をつかみました。英検ゼミでの習慣から、授業では必ず最前列に座り、授業へのとりくみ方も積極的になったおかげで、先生方の講義一つ一つが興味深く感じられるようになりました。   中でも楽しかったのが英文学科 I 先生の「アメリカ文化概論」でした。はじめはあくまでも「大学院入試対策」の一環として聴講していた科目でしたが、先生の実体験や映画などを交えた授業、そして何よりも先生の温かいお人柄が私の心を引きつけました。授業では常に笑顔を絶やさず、折に触れ励ましてくださった I 先生。先生のおかげで、受験に対する精神的不安が解消されたことは言うまでもありません。試験までそれほど時間のなかった私は、授業で習ったことを中心に、2ヶ月間という長い夏休みを大いに活用して、勉強に専念しました。短期間の受験勉強にも関わらず、2002年10月、念願の津田塾大学大学院に合格。面接試験では前述の I 先生が「よくがんばってくれる生徒よ」と同席の先生方の前で誉めてくださったおかげで、リラックスして臨むことができました。試験の出来具合は完璧とは言えませんでしたが、何とか合格できたのは、 I 先生が私のことを強く推してくださったおかげと確信しています。 また「英語の津田」と評されるように、他の大学院に比べ、英語の難易度が高いとされ、合否を大きく左右する科目ですが、1級受験で培った豊富な語彙力と読解力が合格の大きな要因となりました。
 

振り返れば…

英検1級受験を決意してから大学院に合格するまでの道のりは、32年間の私の人生で最も凝縮され、充実感に富んだ期間でした。振り返れば、テソーラスハウスの小林先生、英検ゼミの飯室先生、そして大学や語学学校でお世話になった先生方、家族、友人たちが支えてくれたからこそ夢を実現することができたのです。 しかし大学院に合格したからと言って安心してはいられません。これから本格的な勉強が始まります。そして道はこれまで以上に厳しいでしょうが、1級受験でのがんばりがこれからの私を大いに支えてくれるでしょう。「たとえ困難でも、一つのことを最後までやり通すことの大切さ、そしてお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れないこと」これが英検1級と大学院受験で得た私の教訓です。