小川祐子 2013年
今回、英検ニ次試験4度目の挑戦で、やっと合格を手にすることができました。
一次試験に受かった去年の今頃には、まさかこんなに時間がかかるとは思っていませんでした。
【私の経歴】
私は兄の経営する自営業の塾で、塾講師として大学受験の英語と小論文、国語などを現在教えています。大学入学と同時に18歳から20年間、講師として小学生から高校生まで指導しながら、on the job trainingで自分も学んできました。特に小論文の指導は、現役で早稲田大学や北里大学などに合格させる程の実力で、「論理的」に考えることには長けていると思っていたので、英検の2次試験も大丈夫だろうと思っていました。
しかし海外経験もない、20年間塾の先生をやっていただけで、英語で一切会話をしたことのない私にとって、実は二次試験はものすごく大きな壁になっていました。
まず、リスニング問題の音声は聞こえても、実際に話す外国人の英語が聞き取れませんでした。そして、1分でスピーチの構想を考え、2分で話すというスピードに、「小論文」指導で60分や90分かけて文章を構成していく、「論理性」は通用しませんでした。
これは大変な作業になるぞ、と厳しい世界に足を踏み入れていく自分を感じました。
そして、私には6歳と2歳になる息子がいます。子どもがいる方はおわかりかもしれませんが、「2歳児」は英語でもterrible twos と言われるように大変な時期で、目が離せません。私がベランダで洗濯物を干している間に2階の窓を開けて下を覗き込んだり、洗い物をしている間に勝手に一人で玄関から外に出て行ったりしてしまいます。午前中は毎日、下の子の世話でつぶれてしまいます。また夜中にも授乳で何回も起きますから、きちんとした睡眠はとれません。家事、育児に追われるだけで大変なのですが、一番大変なのは大学受験生の指導で、毎日夜12時過ぎまで指導しています。現役生しか見ないので、現役合格を目指すと大体この時間になってしまいます。受験間近になると、夜中1時、2時と段々遅くなっていきます。
【テソーラスに行くことに決めた訳】
そんな忙しい毎日なので、英検用の学校に行くなんてとてもできないと諦めていました。しかし、3回目の2次試験の時に、英語が口から全くでてこないで、ほとんど無言になってしまい、40点という不合格B判定をもらってしまいました。それから、本当に英検の為に学校に行こうと真剣に考え、ネットで色々探し、テソーラスに決めました。
【テソーラスでは】
2次試験のスピーチクラスは、毎週分野別にスピーチを2本発表します。1本は用意してきたもの、もう1本は即興です。大学受験の指導で国語、英語、小論文と死ぬほどアカデミックな文章を読んできた私は、逆にはっきりいって、「そんなのもういいよ」という気持ちになっていました。アカデミックなことをいちいち言いたくない、というか、「あいうえお」みたいにわかりきっていることを、偉そうに話したくない気持ちでいっぱいでした。しかしいざスピーチの原稿を用意してみると、自分はほとんど何も知らないことを思い知らされました。毎週の学校の準備は、大変なものになっていきました。スピーチするための分野の知識をネットで調べる作業、実際にスピーチにする前の考察時間、スピー チの構成、そして流暢にスピーチできるまで仕上げるという作業を、毎日仕事が終わった後の夜中1時過ぎから始めて、こつこつ勉強し、日曜のスピーチクラスの前の土曜日は子どもが寝た後から明け方の4時や5時までスピーチを仕上げる作業をし、日曜の学校に行くまでの電車の中で、用意したスピーチをipodのストップウォッチを片手に頭の中で復唱し、言えるようにしてきました。明治神宮前駅から歩いて学校に着く前までの、8分程の時間さえも、4回、スピーチの復唱に使いました。
毎週、学校に行く前は、プレッシャーで押しつぶされそうでした。最初の頃は、ネイティブの発音が聞こえづらく、苦戦しました。また、2時間の英語だけの授業に脳が耐え切れず、こときれて、英語がまったく口からでてこない時もありました。授業が終わって家に帰ると頭痛がひどかったり、疲れ果てて、いつも具合が悪くなっていました。それでも、毎週やりきれた時の達成感や、色々な知識がついてきたことの楽しさ、そして、何より、自分の大好きな英語で、様々な人と様々な問題について話し合えることの喜びは、本当に言葉に表せないくらい嬉しく、幸せな時を過ごせました。
【困難な時期を迎えて】
そんなふうに授業が楽しくなってきた矢先、子どもたちが次々と発熱し、病院に連れて行ったり看病したりで、その週の授業を一回休みました。
次の週になって、大型台風がきました。大島が大変なことになった時の台風です。同居している母が外で転倒し、利き腕の手首にひびが入りました・・・。飲み物のふたでさえ、開けられない状態です。私の家には、犬5匹、猫10匹、金魚5匹、亀1匹がいます。今まで、母と分担してやっていた、家事、育児、動物の世話も、試験まであと1ヶ月のところで、すべて私一人でやることになってしまいました。仕事を終えてから、洗い物などを済ませ、夜中の2時過ぎから勉強をスタートさせる日々が始まり、すぐに私も体を壊し、咳が止まらなくなり、肺が痛み、2週連続で授業を休みました。
授業を休む連絡をした時に、事情を説明した際、小林先生は優しく応援してくださいました。今頑張ることが必ず良い結果をうみますから、頑張ってください。と温かい言葉をかけてくださいました。気持ち的にも折れていた時に、また頑張ろうという気になりました。
そして、一生懸命頑張る日が続きました。夜中2時過ぎから勉強し、寝るのは3時か4時、朝は7時には起きて上の子の小学校に行かせる準備をしました。仕事でも、受験生の生徒の推薦入試が近くなってきたので、授業以外に面接練習に付き合い、仕事も夜中の1時過ぎまでする日々が続き、夜は疲れきって、お風呂にもろくに入れない日々が続きました。
【試験の二日前に風邪をひく】
多忙の中、自分の英検試験の二日前に、風邪をひきました。私は、結婚してから、二人の子どもを持つことで、妊娠、出産、授乳が7年続いているので、この間、お酒や薬を飲めないでいます。薬も飲めず、試験前日の土曜日には微熱が続き、布団の中で、スピーチの過去問練習をした時は、頭がうまくまわらず、全然できずに、愕然としました。このまま、もう受からないのでは?と苦しみの中で絶望しました。しかし、ここまできて、あきらめるバカはいない、と自分に言い聞かせ、熱をおして、布団の中で3時間ほど、即興の練習を行い、頭が動かなくなってきた頃、寝て、本番に備えました。
【直前講習での私】
テソーラスの最後の直前講習の日に、ものすごく緊張した私はガチガチになり、普段通りのコミュニケーションがとれませんでした。学校に向かう前の電車の中でも、「最後の練習でうまくいかなかったらどうしよう。」と不安に襲われ、ずっと緊張していたのが、授業でも続き、帰りの電車の中でもその緊張はとれませんでした。グレアム先生に最後のフィードバックシートに、”strong personality!”(を持ちなさい)と書かれました。確かに、自分の教え子の為に、大学推薦入試の面接練習をしてあげているときも、生徒が緊張しているとなかなかよいコミュニケーションがとれず、本当に相手の言っていることが伝わらないことに気づきました。
【本番の日】
本番当日も熱がありましたが、7度台だったので、なんとか動けました。いつもは自転車で最寄の駅まで行っていましたが、体がしんどかったので、歩いていきました。
直前講習の教訓もあり、当日は緊張しないことを心がけ、本番の日は、できなかったらどうしよう、ということは一切考えず、電車の中ではずっと過去問の題を見ては、2分間でスピーチする練習を繰り返し、何も考えないようにしました。また、試験会場に着いてからも、自分が呼ばれる前まで、ずっと過去問を見てはスピーチの練習をしていました。
あと二人終えたら、自分の番が回ってくるという時に、なぜかわかりませんが、手に持っていた受験票を落としてしまいました。慌てて拾い上げましたが、両隣に座っていた人も嫌な顔をしていました。「落とす」なんて悪い兆候ではないか、と普通ならちょっとナーバスになるはずですが、先日、テレビでアイススケーターの選手が出ていて、試合直前に靴紐が切れてしまい、不安だったが、優勝できた、という言葉を耳にしていたので、勝手に悪いサインだと思わないようにしよう、という気持ちになれました。
【面接開始】
かくして、とうとう自分の番がやってきました。緊張はあまりせずに、教室に入ることができました。試験の最初に大体聞かれる「自己紹介してください」がなく、「来るのにどのくらいかかったか?」「休みの日は何しているの?」という質問だけで、すぐに本番が始まりました。
普段は机の上に伏せられているトピックカードがなく、日本人の試験官の男性が、席を立ち、わざわざカードを持ってきてくれて試験はスタートしました。この姿を見て、なぜか余計リラックスできました。
「日本人は環境に対しての意識があるか」という質問に対し、Noの立場で、1、日本は一人当たりのゴミの出す量が世界一だということ。また、そのゴミを燃やすことによって大気汚染に加担していること。2、過剰包装であり、ゴミの分別にも規制が甘いこと。を述べました。1分45秒くらいだったと思います。テソーラスで教えられたとおり、2つの理由を出して、答えることはできたものの、用意していたスピーチではなかったので、言葉は本当にたどたどしく、恥ずかしい気持ちになりました。
質問では、日本は、ゴミの日が色々決まっていて、分別もしっかりしているのではないか?ということを最初に聞かれました。確かに、ゴミの日は決まっていて、ゴミの分別をちゃんとしている人も多くはいるけれども、若者など、分けて捨てるのが面倒と思う人はいて、そのまま分別せずに捨てる人もいるし、そういった人たちに対する規制もない。と述べました。次の質問では、ゴミを燃やさないのなら、他にどんな方法があるのか?と聞かれました。埋めるのが良い、と答えました。すると、二人の面接官の表情が曇りました。すかさず、私は、ゴミを埋めるとメタンガスが発生して、これも問題視されることがあるが、最近メタンガスを使って発電する装置も考えられていて、実際、使われているとこ ろもある。と述べると、二人ともうんうん、とうなずいてくれました。最後の質問は、日本人はきちんとパッケージされているものを期待しているのでは?過剰包装と言うけど、その日本人の期待している気持ちは変えられるの?と聞かれました。パッケージされているよりも、海外のように野菜などはばら売りの方が良い。日本人の期待は必ず変えられる。それは・・・と理由を述べようとしたところで、時間がきて試験は終わりました。一応言葉に詰まることなく、コミュニケーションはとれましたが、全く持って稚拙な英語でしか表現できず、たどたどしい自分の英語が情けなかったです。最後に教室を出るときも外国人の先生の視線の厳しさ、みたいなものを感じたので、これは、わからないな・・・と思い、試験会場を後にしました。
帰りは熱にうかされながら、家に何とかたどり着きましたが、精も根も疲れ果て、倒れこみました。
帰りの電車の中で、「メタンガス」はmethane gasなのを知り、間違えたなぁと思い、また落ち込んでいました。
【合格発表】
かくして、私の英検奮闘記は終わりますが、自分が英検1級の語学力がないことに思い知らされるばかりでした。
インターネットで合格発表を見た時は、自分が合格できるとは思っていませんでした。
前回が40点だったのを考えると、66点でギリギリ合格できたのは、本当に夢のようでした。
合格はできたものの、自分のスピーキング力のなさを痛感し、これからもっと勉強を続けようという気持ちになれました。英語のプロの世界の登竜門である、英検1級に合格し、今やっとスタート地点に立てた気分です。
お世話になった小林先生始めとする講師の方々、本当にありがとうございました。
また、今英検に挑戦されている方、これから挑戦してみたい方、頑張ってください。
大事なことは「合格するまで苦しくても続ける」ということだと思います。私もまだまだ勉強を続けます。一緒にがんばりましょう。長い文章読んでくださってありがとうございました。