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[ 2017 年 12 月 14 日 木曜日 ]

合格体験記:晴れて英検一級卒業 T・S

英検一級合格体験記                   T・S 2017年度第3回

 夢にまで見た一次試験結果合格

過去、二度受験し、いずれも不合格であった私は、これを見ただけで狂気乱舞。独学で対策すること約二年。間に不合格が一回。職場復帰と子どもの病気によって十ヶ月ほどの勉強中断を経た後の、夢にまで見た英検一級合格へのパスポート。それだけで舞い上がり、二次試験についてなど、その時は全く頭にありませんでした。

かなり根を詰めて臨んだ一次試験のあとは、すっかり羽を伸ばす生活を送っていました。合格しているかどうかわからないから対策するのもどうかな、と思っていたため、筆記試験日以降、面接対策などろくにせず、持っていた問題集の後ろについていたモデルスピーチの欄をぼんやり眺めて、「こんなの私にできるのかな」と悠長に呟いていたほどです。

 

 二次試験は簡単に合格すると思った自分の愚かさ

合格通知が届いて喜ぶのも束の間、翌日には慌てて書店へ行き面接対策の参考書を購入し、とある通訳学校の開催している二次対策講座へ一日だけ通うことに。それと同時に下北沢にある英会話喫茶に二回だけ足を運び、会話の機会を作りました。

結局、即席で通った講座では、そんなにスピーチ力を鍛えられなかったものの、講師からの評価は低くなく、合格できそうだよとも言われたため、格段心配をすることもなく、試験当日を迎えました。準一級までは決められた日時に面接会場へ行くだけで合格ができていたことも一因かもしれません。

七月の暑い日の昼下がり、四谷にある女子高校で、最初の一級面接試験に挑みました。思えば面接室に入るまで、やっとここまでたどり着けた、中学生の時に人伝に聞いた試験官二人いる面接試験に自分がやって来られるなんて、ネイティブとの面接ってどんな感じなんだろう、とまだ浮かれていたのです。

入室するとそこには中年の日本人男性(若干気難しそうな)と若い白人男性(映画俳優のように瞳のお綺麗な方でした)がいらっしゃいました。自己紹介では、翻訳を仕事にしたくて英語を勉強していること、理由は子どもが小さいため在宅で仕事したいから(これを答える際、初歩的な文法ミスをしてしまったことを帰りの電車の中で気がつきました)、趣味は音楽を聴くこと、などを話しました。

問題カードでは、一番上にあった「戦争はなくすことができるだろうか?」を選択。この理由は一日レッスンにて担当してくれた講師より、回答に困ったら人口増と貧困に会話を結びつければ間違いないのでそれができそうなテーマを選ぶようにというアドバイスをいただいていたからです。その結果、迷わずそのテーマを選択し、なくすことはできないという立場を取り、人口増により水や食糧などの資源をめぐって対立は激化することと、先進国による搾取がいまだに続いているため貧困ゆえにテロなど戦闘行為はなくならない、というようなスピーチをしました。

質疑応答では、白人男性より先進国による後進国への教育支援は有効か(有効と回答)、日本人からはよくわからない質問が二問ほどあり、いずれもあまりよく回答ができませんでした。合計で五問の質問があり、六問目に入る頃に時間となりました。最後の方で日本人から「君は考えが変わったのか?」との意見もあり、印象が良くないのだろうかと不安になったのを覚えています。また帰り際に白人男性より「君はよくやったと思うよ」と言われましたが、今思えばそれは慰めだったのでしょう。

結果はわずか10ポイント足りずに「不合格」。わかってはいたものの、いざ突きつけられると目の前が真っ暗になりました。

せっかく試験が終わって、楽しい夏にする予定だったのに・・・。またしても勉強へと戻されてしまった。そんな落胆が私を襲いました。

 

 

スピーチの構成と情報収集の大切さ

勉強モードへと逆戻りするために、まず行ったことはその道のプロを探すことでした。これ以上、一人での対策は無理だと判断したためです。

二校の対策校に電話をしました。一つ目は新宿のグループレッスン校で主婦割もある学校でした。お値段が手頃で魅力的ではあったのですが、レッスンは土曜日のみ。その他の日程や個人レッスンは受け付けられないとのこと。

次にテソーラスハウスへ。小林学校長がお出になられました。状況をお話ししたところ、プライベートレッスンであれば子どもを連れての平日昼間のレッスンも可能、との回答であったため、お願いをしようと決めました。

九月初旬からレッスンが始まりました。八月いっぱい自分なりにモデルスピーチを書き、それに対する質疑応答シュミレーションを行っていました。ですが、一回目の授業で小林先生より、「その回答ではネイティブにはわかりにくい」、「もっと簡潔でわかりやすいスピーチを」とのご指摘をいただきました。その時点では、私は自分の問題点が何か、またこの試験に対してどのような準備をすればいいのか、まだほとんどわかっておらず、とにかく何かヒントが欲しかったので、小林先生の著書であるスピーチ対策本を購入しました。

まず私が行ったのは、モデルスピーチをすべて読み込むこと。次に各スピーチの構成を分析すること。さらにはそれぞれのスピーチに対して自分だったらどんな意見で回答するのか、ポイントを二点挙げてその理由を出しました。そしてその出したポイントに沿って自分なりのスピーチを時間は特に測らずに行いました。ポイントを出すことは、慣れるまでは日本語で行っていました。

以上のトレーニングを行ってわかったことは、スピーチの構成内容です。まず一文目でポイントを提示する、二文目と三文目で実例を出す、四分目と五文目で意見を言い締めくくる、という流れで話せば必ず実のあるスピーチを展開でき、時間が余ってしまうことはない、ということです。

毎週の課題についても同様の作業を行いました。こちらは本とは違い、モデルスピーチはありませんので、その質問についての知識がなければ何も考えが浮かびません。私はこれについて情報収集という手段を用いて解消しました。わずか二分間のスピーチです。試験官は決してマニアックな知識を持っているかどうかを確認したいわけではありません。基礎的なインターネットで調べられる範囲での知識(ウィキペディアやその道のプロが書いているサイトなど)を持っていればポイントとその実例を出すのに十分でした。また雑学的な知識もつけておくとポイントとして使えると思いました。海外雑誌(私の場合は図書館に置いてあった『TIME』をコピーしました)の見出しページにある雑多なトピックを拾ったり、池上彰さんが司会をしている番組を見るようにして最新の情報を仕入れたりしました。

 

学習のコツがつかめない、打開策が見つからない辛さ 

この時期、私が行っていた勉強メニューはこうです。一週間のうち二日ほどは子どもの用事でどうしても勉強を行うことが難しかったため、その他の五日でメニューを組みました。最初の一日はインターネットを使用して情報のリサーチ、次の日にポイントとその理由を出す、残る二日でスピーチにする練習をし、最終日にレッスン、という流れです。できるだけ多くのテーマについてカバーしたかったので、余程出てこないテーマ以外は毎週すべての質問に対してスピーチを組めるよう訓練しました。

ですが、一ヶ月が経過した十月に入っても私はなかなかスピーチを即興で話すことができず、いつもモデルスピーチをきっちりと書いてそれを暗記しないとレッスンが成り立たない状況が続いていました。もう試験まで時間がそんなになくなってきていたにも関わらず、です。担当していたエイミー先生にも暗記ではダメ、と何度も言われ続けていましたが、その打開策が出てきません。

転機が訪れたのは、エイミー先生のご帰国と子どもの病気によって二週間レッスンをお休みした後に担当してくれることになったマルセラ先生との出会いでした。二週間も時間があったので、スピーチを覚える時間がたくさんあり、その週のレッスンはそれ以前と比べてずっとスムーズに話せました。マルセラ先生もそれを見て、私がそんな悩んでいるとは思わなかったようです。レッスンの終わり頃に先生から今日はよくできたね、というようなお言葉をいただいたため、私は思い切ってスピーチをいちいち暗記しないと話せないことを伝えました。先生からはポイントを英語のみで書くことをしていけば暗記する必要がなくなる、また下調べも英語のサイトで行うとよい(結局、これはできませんでしたが)と教えていただきました。早速、翌週からは英語でポイントを出すことを心がけました。もちろん、すぐに英語のみで出すことは難しかったので、最初にヒントとして日本語で単語のみ出し(例 原発→事故→安全性→人命尊重)、それ以上の文章的なことは英短文で書いていきました。これを繰り返しているうちに少しずつ暗記をせずとも文章を発せるようになりました。

 

暗記は話すテーマの幅が広がらない、使いまわしができない 

十月中旬からは頻出テーマに対するポイントまとめノート作りもしました。1ページにひとつのテーマを見出しとして上に書き、ポイントとその実例及び意見を短文でまとめていきました。百個ほどのテーマがまとまり、それらを暇さえあれば読み込みました。読んでいるうちに、似通ったテーマであればポイントを使い回せるということに気がつきました。それ以降、話せるテーマの幅がぐっと広がったのを覚えています。

十月下旬からは本番さながらの形式にて演習を行いました。一回だけ通ったスクールでもらった問題集(100問以上のつづり)を使用しました。ポイントの読み込みを続けていたため、週が深まるにつれて試験形式に慣れました。

しかし、十一月に入ると試験が目前に迫ってきたため、日を追うごとに緊張していきました。直前のレッスンにて久しぶりに小林先生とお会いし、その点について指摘されました。緊張しすぎて硬くなっていることは相手にも伝わる、そんな態度だと試験官は話を聴く気をなくす、女性は笑顔で感じよくしていなさい、と。また自己紹介をする際に英語を勉強している理由を話すことは試験官の印象に残らない、もっと自分は他の人と違うことを訴える必要がある、例えばあなたは子どもを連れてレッスンに通っていることなどを話すとよい、ともご指摘いただきました。

緊張感を見せないことも実力のうち

それでも簡単に緊張は解けず、試験前日は過呼吸にでもなってしまいそうなくらい高ぶってしまいました。ちゃんとスピーチできるのかな、何も答えられなかったらどうしよう、聞き取れるだろうか、間が空いたら嫌だな、また不合格なのかな、など堂々巡りに悪いことばかりを頭に浮かべていました。

ちょうどその日はフィギュアスケートの国際大会をやっていて、夕食の際に子どもと見ていました。このシーズンは五輪選考を兼ねていましたので、選手たちの様子には鬼気迫るものがありました。この人たちは私よりずっと大きなものを背負って滑っている、それに比べたら私の緊張はなんて小さいのだろう、そう感じ、緊張が幾分和らぎました。

二回目の試験当日。朝は発声練習とテーマ別ポイントの読み込みのみを実施。

会場は四谷にある専門学校。前回と地理的には同じでしたが、あえて行き方(中央線ではなく丸ノ内線を利用)を変更。

控え室は小さな教室。私は通された部屋の中で一番に到着。試験官に渡す採点シートを書いて緊張をほぐしました。その後は試験について深く考えないようにカーディガンについていた毛玉を取ってリラックス。

廊下に移ってからも同様でした。他の受験生が自分より上手なスピーチをしているのを聞いて焦っても仕方がないと思ったからです。ふと隣を見ると、今どき風の若い男性の手が震えていました。みんな緊張する、それが当たり前だ、そんなことを思っている間に私の番になりました。

今回は初老の白人男性と老齢の日本人女性。男性はベテランのようで終始試験をリード。一方の女性はほとんど黙ったまま。

自己紹介は求められず、名前の確認と趣味についての質問のみ。ちょうどその時期、はまっていたホラー漫画の話に。

試験カードには、たまたま直前のレッスンで演習していた「民主主義は理想的な政治体制か」というテーマが。当然、それを選択し、金曜日のレッスンで話した内容を復唱。

立場はyes。

ポイント一つ目は選挙。昔は王や貴族が政治を行い、平民に発言権がなかった時代に比べ、選挙により民意が反映されているという点。

ポイント二つ目は言論の自由。独裁体制であれば言論統制が行われていて発言内容によっては逮捕も有り得る、実際に産経新聞記者が中国政府に逮捕された点。

質問は三問のみ。

白人男性より、トランプ大統領のような人が当選したらどうするのか(→それも選挙結果として受け入れるしかないと回答)、有権者はきちんと考えて投票していると思うか(→残念ながら微妙かもしれない、特に日本は唐突に解散をするからと回答)の二問。

日本人女性からは、ヘイトスピーチは言論の自由と言えるか(→人権は憲法にて保障されているため、人権侵害であるヘイトスピーチは言論の自由に当たらないと回答)の一問。

その三問を答えたところでタイムアップ。

結果が出るまでの十日ほどは調べきれなかったテーマについてインターネットで情報収集に努めました。万が一に備え、次回がある場合は、さらに話せる分野を広げるためです。

私は小心者のためインターネットで結果が発表になる日になっても、結果を確認できません。郵送の時期になると毎日恐る恐るポストを覗くという趣味の悪い人間です。

試験のあった次の週の金曜日、合格書在中と書かれた大きな封筒を見てひと安心。

残念ながらボーダーをわずか2ポイントしか上回っていないという薄氷の結果でした。ボキャブラリーで4をつけたジャッジがいたようでそれに救われました。

 

これからも将来に目的をもって生きていきたい

晴れて英検一級卒業。

予期せぬ質問に対しても柔軟に回答できる、それが真の英語力であり、英検一級の目的なのでだと私は考えます。

わがままなレッスン日程に融通をつけてくれた小林先生、ランダムなレッスン日程に合わせて出勤してくれたエイミー先生、子どもが騒いでも熱心に指導してくれたマルセラ先生に心より感謝です。みなさんのおかげで英語力だけでなく、人間としても成長した四ヶ月でした。本当にありがとうございまいた。

 

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